2012年11月23日金曜日

みんなが導いてきた“今”


政治家はまさに日本国民の縮図なんだろうなあと思う。
日本国民をぎゅっと凝縮したら、ああいう感じになるのだと思う。
だから、政治家のことばかり、とやかく言えない。
そのまま、私たちなんだから。

国政に参加する手段は「選挙しかない」訳ではなくて、
日常のなかにも、たくさんあるんだと思う。

たとえば「買う商品を選ぶ」。
それによって
“どんな企業のあり方がいいか”を決めているんだと思う。

ちまたに溢れる商品を見ていると、
「安いとはいえ・・・簡単に駄目になる素材や作りで、
何度も捨てさせて、買わせるつもりなんやろうなあ」とか、
「社会貢献事業ではいいことをたくさんやっているのに。
1つあったら充分なものを、なんで毎月買わせる売り方をするんやろう」等々と
思うものはいろいろあって。
でも、「楽だから~」「安いから~」「使いやすいから~」「かわいいから~」と、
そういうものを選んで残してきた。

ほかにも、「売上最優先ではなくて、未来を見据えた仕事をする」など。

人それぞれ、それぞれの方法があるんだと思う。

そういう、いろんなことを、
一人ひとりが選択し、行動し、
積み重ねてきた結果が“今”。

多くの人が望んだ、導いた“今”なのだと思う。

その“今”さえも、
一人ひとりの選択や行動によって、
この瞬間にも変わり続けている。

じゃあ、わたしはどうか、どうするか。
変わったらいいなあと思うところがあるから。
じゃあ、自分レベルで何ができるのかを考える、行動していく。
考えたからといって、なかなか行動に移せなかったり。
行動したからといって、“すぐ”には何も起こらないけれど。
それでも、するのと、しないのとでは、全然違うから。
少しずつ、少しずつ、見つめ直して、考えて、行動していきたいなあと、改めて思った今日。


『ありおか歴史探訪スタンプラリー』(有岡小学校校区まちづくり協議会)に参加。

史跡を巡りながら、おじいちゃんおばあちゃんの話を聞いていると・・・
その時代、時代によって、
何が正義か、何が大切か、当然のことながら、異なるなあと。

城主・荒木村重が不在時に、有岡城が落城して、
その妻や子どもは首を切られて殺されて。
家来は屋敷に閉じ込められて、生きながら燃やされて。

今では考えられないことが、その時代においては当然のことで。
でも、それでいいとは思っていなかったからこそ、
今のように変わってきたのかなあと思いました。
そう考えると・・・いろんなことがあるけれど。
それでも、よりよい方へと向かってきているのかなあと思います。
いろんな経験を蓄積しながら、活かしながら。

おばあちゃんが、荒木村重の生きざまから、
子どもたちに「なんとか生き抜いて」というメッセージを伝えていらっしゃったのが、
ココロに残っています。

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