2013年4月23日火曜日

ひやしんすの一生

サンタさんに
「ゲームか~~~育てられる花」がほしいと
お願いした5歳児。

クリスマスの、その日。
わくわく、きらきら、ときめく、
子どものココロを大切にしてくれるサンタさんから、
ヒヤシンスの贈り物をいただきました。

ほんのり、ぴんく色に。
新しいつぼみも、ひょっこりと。
ドキドキ、わくわく、でもドキドキ!!な、まいにち。
このまま、すくすくと、育ってくれるといいなあ♪




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すこしずつ、つぼみが。きれいです。


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あさが、たのしみです。
やさしさを秘めながら、情熱的に。


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情熱的に咲き誇る花たちの下で。
ちいさな、ちいさな、つぼみがひょっこりと。
ほんのり色づいてきました。
未来を感じさせる、さわやかなつぼみです。


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ヒヤシンスは、凛とした冬の冷たさのなかで、情熱的に。


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よるのヒヤシンスは。
凛と、つめたい、冬の夜。
一つひとつの、星が、きらめいて。
ヒヤシンスも、情熱的に、美しく。
いのちは、互いに影響を与えあいながら、つながっていく。



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あおおにさんと、あかおにさんと、ひやしんす。


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ひやしんす三姉妹


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花が咲いてから、2カ月ほどが経ちました。
月日を重ねるごとに、なんともいえぬ、味わい深い色合いに。
そういうふうに、年を重ねていきたいですね。


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この姿も、また、美しい。

「枯れる」という言葉を、辞書で調べてみたら・・・
意味の一つに“人物や技術が練れて、深みが増す。
円熟して、落ち着いた深い味わいが出てくる”とあった。
深い。



2013年4月20日土曜日

夢地図



夢地図をつくりました。「こうしていけたら、いいなあ」と漠然とした思いはあるのですが、具体的に「どうしていくのか」というものはなく、ほわほわしている最近。

夢地図をつくる前に、夢や目標などについての質問に、目を閉じて答えました。自分のなかに、すでにあった思いを言葉にしてアウトプット。「自分はこんなことを思っているんだな」と噛みしめながらインプット。そうやって自分の思いを確かめた後、夢や目標を思い描きながら、雑誌やチラシを切り抜いて、1枚の紙に飾りました。夢地図が出来上がったら、それをもとに、思いを語り合います。NLP(神経言語プログラミング) という手法を用いての、夢地図づくりだったので、丁寧に、自分の思いを確認しながら、カタチづくっていけた気がします。

出来上がった夢地図がコチラ。向かって左側が“こうなったらいいなあと思う、みんなの未来・社会”で。右側は“これから1年くらいでこうなっていきたいという、自分・自分の未来”です。

最後に。「明日からこうしていきます!」と宣言し合って終わりました。私は、夢や目標をもっと具体的にしていけるように、それを仕事を含めた生き方として体現していけるように、「こうしていきたい!」「こういうことをしていこう!」ということを言葉としてつぶやいて。それをカタチづくって、来年から“何か”を始めていきます・・・というようなことを宣言しました!そうしていきます!

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2013年4月14日日曜日

まいにちの、魔法使い


昨日の朝、兵庫県・淡路島を中心に、強い地震がありましたが、
みなさんは大丈夫でしたか?

本当に。
阪神淡路大震災を思い出す、揺れでした。
あの揺れの直後、激しく揺れるのではと恐かったです。

怪我をされた方、
阪神淡路大震災を思い出された方、
そして建物の一部が壊れるなどした場所があったと、
ニュースなどで知りました。

祈っております。

地震の後、ご近所・地域とつながっていることは、
やっぱり大切だなあと、ぼんやり考えていたら。

スーパーで、知らないおばちゃんが娘に
「こんにちは」と言っているように見えて、
「ちゃんとごあいさつして!」と娘に言いに行ったら・・・

「知り合いにあいさつをしたら、
このおじょうちゃんもしてくれたのよ。
だから、言ったの」とおばちゃん。

そして、「あいさつって、大切よね。
私も、朝とか、擦れ違う人に、知らない人でも、あいさつするのよ。
そうしていると、だんだんと、知り合いになってくるのよね。
いい、きっかけ。
そういうのって、嬉しいものなのよね」と。

そのおばちゃんが歩くごとに、
あいさつ+小さな日常会話が生まれ、
スーパーの中が、ぱっと明るくなっていくように見えました。

そういえば、私も、
保育所前で、よく擦れ違う、ヤクルトのお姉さんがいて。
そのお姉さんがいつも「おはようございます」と
さわやかに挨拶をしてくれるので。
いつのまにか、顔見知りになっていました。

あいさつの魔法です。

自分も、誰かも、ちょっぴりハッピーになっちゃいますね♪
私も、毎日のなかで、そんな魔法を使いたいのです。


2013年4月10日水曜日

ともに、生きているからこそ


毎日、いろんなことがあります。
身近でも、地域でも、日本でも、世界でも、地球でも。
「なんで、こんなことをするんだろう」とか
「おかしい!」と思うこともありますが。

そう思うのは、
私が「こうなったらいいなあ」という未来、
そこへ向かっての願いからなんだよなあと。

一人ひとりが思い描く未来は違うのだから。
私が「なんで、こんなことをするんだろう」とか
「おかしい!」と思うことが、
誰かにとっては、
そうでもないことかもしれないんだよなあと、改めて。

そんなことを、時折り忘れてしまって、
「こう“すべき”じゃないの」と押しつけてしまうことがあったなあと反省しました。

「私はこんな未来を夢見ているから、
こうなっていったらいいなあと思っています~」とシェアしていけたらと。
誰かの、そんな話にも、しっかりと耳を傾けていきたいなあと。

その、一人ひとりが思い描く未来だって、
いろんな出会い・経験・コミュニケーションなどを通して、
育んでいけるものですから。

そんなことを思った昨日。
とても、心地よい、お天気でした。



2013年4月2日火曜日

人の連鎖に思いを馳せる(大学時代に書いたもの)

 電話が鳴った。「県尼創立80周年記念誌に掲載する原稿を書いてくれないか?」と恩師からの依頼。県尼を卒業してたかが3年、されど3年。未だに続くこのつながりが、なんだか嬉しかった。そういえば様々な人と出会ったなあ…と、県尼での日々を懐かしく思った。
 県尼で過ごした時間の中で、私は人と出会う楽しさを知った。そのきっかけは、たぶん学校生活が退屈だったから。登校して、授業を受けて、友達と話して、帰宅して、寝るだけの日々。なんとなく一緒にいる友達、テストのための勉強。自分が空虚に思えた。
 そんな毎日や自分から逃げ出したかったから、文章を書くようになったのだと思う。「どうして生きているのか」「自分は一体何なのか」絶えず襲われた答えなき疑問。心がもやもやして、とりとめもない自分の感情や考えを、言葉にして吐き出すようになった。
 最初は「こんな気持ち、誰にもわかるはずがない」と思っていたから、尊敬できる人にしか文章を読んでもらわなかった。けれど、だんだんと他の誰かにも知ってもらいたくて、初めは公募というカタチで遠くの誰かへ届け、そのうち身近な誰かにも知ってもらいたくなって、高校一年の終わり頃、新聞部に入部。自分の文章を発表するためにという不純な動機で「県尼新聞」を発行した。
 それからだ。様々な人と積極的に出会うようになったのは。すでに出会っていた人たちと、「第2の出会い」をした。
 新聞部の顧問や新聞制作に携わってくれた仲間、記事制作に協力してくれた先生方、職業インタビューに協力してくれた学校外の人など、学校内外の様々な人と出会った。「文章を読んだよ!」と声をかけてくれる人もいて、その出会いがとても嬉しかった。
 「書く」ことを通じて広がってゆく世界、つながってゆく人。それまでは、ただの担任だったり、教科の先生だったり。職員室で見たことあるな~と思うだけの先生だったり、面識のない事務職員だったり。用事がなければ話もしなかったし、どの人もみな「先生」「職員」という記号的な存在でしかなかったから、人となりがどうであるか興味はなかったが、私が書いた文章を通じて自分のことを話してくれた人がいた。
 経験談を語ってくれたり、感じていることや考えていることなどの内面的なことを話してくれたり。私自身を、文章でさらけ出すことで出会えた人の反応。当たり前だけど、様々な人が、いろんな環境の中で、色々な価値観を持って生きていることを知った。
 夢を持っている人、夢を実現しようと動いている人がいた。自分の信念を強く持ち、それを語れる人もいた。今ある環境の中で、思いきり楽しんでいる人もいた。そんな人の姿に、私もがんばろうと励まされた。
 そうして出会った人たちが、「これにも参加してみたら?」と声をかけてくれたり、「今度作る冊子に、この文章を掲載してみない?」と誘ってくれたり、これまでの公募活動を評価してくれて「県尼賞」を贈ろうと動いてくれたり。人と出会わせてくれたり、本などを紹介してくれたり。個人的に学校外で会ったり。
 様々な人と出会い、様々な人に支えられた幸運。その度に、新しい自分と出会った。自分の可能性も開けた。「県尼」という空間だからこそ出会えた人、その時間の流れだからこそ触れられたり考えたり経験したりできた事。それらすべてが、今の私の中に、確かに息づいている。
 県尼創立80周年という歴史の中で、私がいたのは3年。たった3年、しかも私ひとりの経験でも、いろんな出会いや別れがあり、様々な出来事を乗り越えながら生きてきた。80年もの間、多くの人々が存在し続け、これからも続いてゆく「県尼」という空間。一体どれだけの人が出会いと別れを繰り返し、そこで何を感じ、何を考えてきたのだろうか。今、そして未来はどう続いてゆくのだろうか。
 そんな人の連鎖に思いを馳せると、なんだか県尼が愛しく感じられた。