2013年4月2日火曜日

人の連鎖に思いを馳せる(大学時代に書いたもの)

 電話が鳴った。「県尼創立80周年記念誌に掲載する原稿を書いてくれないか?」と恩師からの依頼。県尼を卒業してたかが3年、されど3年。未だに続くこのつながりが、なんだか嬉しかった。そういえば様々な人と出会ったなあ…と、県尼での日々を懐かしく思った。
 県尼で過ごした時間の中で、私は人と出会う楽しさを知った。そのきっかけは、たぶん学校生活が退屈だったから。登校して、授業を受けて、友達と話して、帰宅して、寝るだけの日々。なんとなく一緒にいる友達、テストのための勉強。自分が空虚に思えた。
 そんな毎日や自分から逃げ出したかったから、文章を書くようになったのだと思う。「どうして生きているのか」「自分は一体何なのか」絶えず襲われた答えなき疑問。心がもやもやして、とりとめもない自分の感情や考えを、言葉にして吐き出すようになった。
 最初は「こんな気持ち、誰にもわかるはずがない」と思っていたから、尊敬できる人にしか文章を読んでもらわなかった。けれど、だんだんと他の誰かにも知ってもらいたくて、初めは公募というカタチで遠くの誰かへ届け、そのうち身近な誰かにも知ってもらいたくなって、高校一年の終わり頃、新聞部に入部。自分の文章を発表するためにという不純な動機で「県尼新聞」を発行した。
 それからだ。様々な人と積極的に出会うようになったのは。すでに出会っていた人たちと、「第2の出会い」をした。
 新聞部の顧問や新聞制作に携わってくれた仲間、記事制作に協力してくれた先生方、職業インタビューに協力してくれた学校外の人など、学校内外の様々な人と出会った。「文章を読んだよ!」と声をかけてくれる人もいて、その出会いがとても嬉しかった。
 「書く」ことを通じて広がってゆく世界、つながってゆく人。それまでは、ただの担任だったり、教科の先生だったり。職員室で見たことあるな~と思うだけの先生だったり、面識のない事務職員だったり。用事がなければ話もしなかったし、どの人もみな「先生」「職員」という記号的な存在でしかなかったから、人となりがどうであるか興味はなかったが、私が書いた文章を通じて自分のことを話してくれた人がいた。
 経験談を語ってくれたり、感じていることや考えていることなどの内面的なことを話してくれたり。私自身を、文章でさらけ出すことで出会えた人の反応。当たり前だけど、様々な人が、いろんな環境の中で、色々な価値観を持って生きていることを知った。
 夢を持っている人、夢を実現しようと動いている人がいた。自分の信念を強く持ち、それを語れる人もいた。今ある環境の中で、思いきり楽しんでいる人もいた。そんな人の姿に、私もがんばろうと励まされた。
 そうして出会った人たちが、「これにも参加してみたら?」と声をかけてくれたり、「今度作る冊子に、この文章を掲載してみない?」と誘ってくれたり、これまでの公募活動を評価してくれて「県尼賞」を贈ろうと動いてくれたり。人と出会わせてくれたり、本などを紹介してくれたり。個人的に学校外で会ったり。
 様々な人と出会い、様々な人に支えられた幸運。その度に、新しい自分と出会った。自分の可能性も開けた。「県尼」という空間だからこそ出会えた人、その時間の流れだからこそ触れられたり考えたり経験したりできた事。それらすべてが、今の私の中に、確かに息づいている。
 県尼創立80周年という歴史の中で、私がいたのは3年。たった3年、しかも私ひとりの経験でも、いろんな出会いや別れがあり、様々な出来事を乗り越えながら生きてきた。80年もの間、多くの人々が存在し続け、これからも続いてゆく「県尼」という空間。一体どれだけの人が出会いと別れを繰り返し、そこで何を感じ、何を考えてきたのだろうか。今、そして未来はどう続いてゆくのだろうか。
 そんな人の連鎖に思いを馳せると、なんだか県尼が愛しく感じられた。

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