2014年5月22日木曜日

願い


あおい空に、もくもくっと浮かぶ雲を見るたび、
未婚で娘を産み育てようと決意した瞬間を思い出します。

私は「生まれてこれてよかった」と思うから、
この子にもそう思ってもらえるようにしたいと思った、あの時。

どんな人生であれ、少しでも
「生まれてこれてよかったなあ」と思えることが、
私の思い描く幸せで。

みんなの幸せも願っています。

2014年5月21日水曜日

また今度が楽しみ♪そう思える『伊丹オトラクな一日』

先週末の5月17日(土)!!
『伊丹まちなかバル』&『伊丹オトラクな一日』でした。


バル開催中の三軒寺前広場周辺では、路上ライブや流し演奏などが。
私は娘と一緒に『伊丹オトラクな一日』サポーターとして参加。
ピクニック班ということで、公園にてミュージシャンをお出迎えしました。


まさに、ピクニック!!
サポーターのなっつさんがレジャーシートを、
とっこさんがアソートチョコレートを用意してくださって。
ますます、ピクニックな雰囲気に♪


子どもたちは「この楽器、何やろう」「やってみたい!!」と興味しんしんで。
ここを訪れたミュージシャンのみなさんは、大切な楽器を、
子どもたちに触らせてくださったり、奏でさせてくださったりしてくれました。

カードゲームに夢中だった子も、
「缶のなかに、小石を入れたら、これ、つくれるでー」とミュージシャンに聞けば、
公園にあった空き缶やソフトクリームのパッケージで、自分の楽器をつくって!!
一緒に奏でて、一緒に踊って。最高でした!!


やっぱり『伊丹オトラクな一日』って、ええやな!!
『伊丹オトラクな一日』フェイスブックページでは、
いろイロな様子がアップされていますので、こちらもぜひ!!



初出演ミュージシャン・ナオリュウさんが、
打ち上げの時に、出身地である福井県鯖江市の伝統産業である
漆塗りのマイクを見せてくださいました。


そこには、これまた地場産業である眼鏡のイラストが!!
地元を応援する気持ちはもちろん、
それをきっかけに「つながっていけたらいいなあ・・・」という願いがあるそうです。



開催中はもちろん、
ミュージシャン&サポーター打ち上げでも、素敵な出会いがあって。

「ああ、ここにいることができて、よかったなあー。
また今度が楽しみだなあー」と思いました。

2014年5月14日水曜日

文字を拾う


文字を拾う・・・
宮澤賢治作『銀河鉄道の夜』での一場面だと、
昨日教えていただきました。

まさに文字を拾う体験を、
先日参加した『桜ノ宮 活版倉庫』主催のワークショップでしました。

書くでも、打つでもなく、
一つひとつ、文字を集めていく感じ。

むかしはこうやって一文字一文字集めて、
新聞などをつくっていたのだなあなんて、
ちょっぴり想像しながら。

“活”字の由来も調べてみると、「なるほど!」となりました。

2014年5月11日日曜日

母の日

「おかあさん、すきなくだもの、なに?」と聞かれたので、
「梨」と答えたら、
「ちえはぶどうがすきやねん」と言われた数分後。

ぶどうを食べる私の絵を描いてくれました。
想像のなかで、ぶどうを食べます。


私は母へカーネーションを。仏壇にそなえました。

2014年5月4日日曜日

10年前と、今が、つながって


ごみ減量推進委員会という市のグループに少し関わっていた頃、ある女性から教わったこと、「循環の“環”を想像することの大切さ」。ごみを捨てた後、そのごみはどうなってゆくのか・・・それだけではなく、何事にも“環”があるのだ。

大学の卒業論文を書くために、地域ボランティアをしている女性にインタビューをした時に感じたこと、「こうして地域のことを考えて活動してくれている人たちがいるから、私はこうして生活できている」。マクロ的視点から見れば小さな活動も、それが“輪”となれば、世界をも覆う大きな活動になるに違いない。

それから、いろんな“わ”を想像するようになった。



颯爽と、阪急梅田駅から阪神へ向かって歩いていたら、動く歩道の埃取り作業をしていた。その作業を横目に見ながら、「この人たちがこの仕事をしてくれているから、私はいつも何気なくこの動く歩道を使えているんだなあ」って気づいた。

見知っている人の支えの有難みを感じることはよくあるけれど、見知らぬ人の支えに気づく時はこんな瞬間。当たり前のことだけど、意識しないと気づけなかったこと。こういうことは多々ある。学費のために奨学金をもらった時、さまざまなボランティア活動に参加した時、ごみ処理場を見学した時・・・。挙げるときりがない。

それだけ、私はいろんなものに支えられている。
いろんなものがつながって、今、私はここにいる。


そんなことをとりとめもなく考える中で思い出したのは、大学で学んだ文化人類学の「機能主義人類学」の考え方。「社会を1つの有機体とみなして、個々の器官にそれぞれの役割があるように、個々の風習や制度のになう役割(機能)に注目する立場である。禁忌や冗談関係といった一見すると奇異なあり方も、その社会全体にとってはなんらかの実用的・象徴的な意味があり、巨視的に社会的な不安・葛藤の解消とか社会的統合の機能などを考えれば、それはただの風変わりな奇習ではない」(山下晋司・船曳建夫編『文化人類学キーワード』より抜粋)

社会を1つの有機体とみなす。個々がいろんな役割を担って、それぞれが補うようにして成立している。ひとりの人間にできることは限られている。だから、そのひとりひとりの人間がそれぞれの分野において、それぞれの活動をする。ひとりの人間がすべてを背負わなくても、ある人間が担えなかったことを誰かが担って・・・それが連鎖して世界は成立する。そのいとおしさ。

じゃあ、私には何ができるんだろうって考える。


そのひとつのカタチが、この『れもんのき』だ。私なりの現実との向き合い方。世の中で起こっているさまざまなことに対して、私ができること、したいこと。そのひとつのカタチなんだと思う。

第1号ではいろんな人の日常のコラムを掲載。ちょうどイラクでいろいろ起こっている時期で、身近からイラクへ思いを馳せられたらと思った。第2号はものづくりのあれこれを掲載。ものにこめられた思いを大切にできたら、そこから環境問題を考えることにもつながるのではないかと考えた。第3号ではいろんな人のはじまりのストーリーを掲載。何かを始める時の原動力は、誰かを元気にするかもしれないと思った。

人のことを想像できる要素が増えるたびに、いとおしく想える人が増えて、そのぶん私も幸せになれるんだと思う。私が知ったそんな要素を誰かと共有できたら素敵だし、誰かが知った要素を私も知りたいと思う。

どこまで想像を広げられるか。ここでいう想像は単なる妄想の類に限らず、知識、経験などの上に成り立つものも含む。いろんな人が、いろんな人のことを想像できるようになって、いとおしく想える人の環ができていったら、世界はどうなるだろう。


※10年前につくっていたフリーペーパー『れもんのき』より。

2014年5月3日土曜日

大切なことをしている無名の人に、スポットライトを

私が住む市営住宅の前には公園があります。
「わあ、雑草が、イキイキと♪」なんて、
ほほえましく眺めることができるのも、
近所のおじちゃんたちがお手入れをしてくれているから。
年に数回、管理事務所の方でお手入れをしてくれますが、
おじちゃんたちが日常的に木の枝葉を切ったり、雑草を抜いたり…
みんなのことを思ってやってくださっています。

気づかなければ、それが当たり前の風景で。
おじちゃんたちに「ありがとう」と思っている人はどれくらいいるのでしょうか。
でも、こうしてやってくれているおじちゃんがいるからこそ。
そのおじちゃんたちのこと、すごいなあって思うんです。


目立たないけれど、でも大切なことをしている、
無名のおじちゃんやおばちゃんのインタビュー記事を書いて伝えたい!と
学生の頃から思っています。
やっぱり、そういうことをしていきたいなあと改めて思った、今日。

2014年5月1日木曜日

思いと、思いを、つなぎたいから。伝えたい

私がやりたいことも、
こういうことかもしれないなあと思いました。

出会って、
「これは!!」「こんな思いで!!」とココロふるえて、
それを誰かに伝えたくて、共有したくて。

時にはしゃべって、
時には文章にして、
時には紙媒体やWEBサイトにして、
届けて。

誰かに届いて、
そこから、つながって、
ひろがっていったらいいなあなんて願いながら。


中小企業研究や支援に取り組む坂本光司さんの著書
『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)を読んで、
そんなことを思いました。


この著書では、坂本さんが
“真に世のため人のためになる経営に
懸命に取り組んでいる価値ある企業”と思う企業の、
そこにいる人たちの思いやあり方を丁寧に紹介しています。

こちらにも、メッセージを掲載していらっしゃいます。
『企業をたずね、本当の意味での「いい会社」を支援。
幸福度を指標にした社会への変換を訴える』