2025年7月31日木曜日

あの夏の日から、18年。未婚の母として歩んだ日々と、今思うこと



7月は、私たち母娘の誕生月。暑くなってくると毎年、臨月だったあの夏の日々を思い出す。今年、娘は18歳という成人年齢に。つまり、“父母の親権に服さなくなる年齢=保護者がいなくても自分で人生を決めていける年齢”になった。この事実が、私にとって、どれほど特別なものだったか。

未婚の母として、娘を育ててきた。

常に頭の片隅にあったのは、「もし私に何かあったら、この子はどうなるのだろう」という尽きぬ不安。というのも、私の母は、私が小学4年生の時に、がんで亡くなった。41歳だった。それ以来、どこかで「自分も“娘が小学4年生の時”か“41歳の時”に死ぬのではないか」という漠然とした不安を抱えていた。早くに親を亡くした人は、似たような感覚が芽生えるらしい。ある芸能人がそんな話をしているのをニュースで見聞きして、共感したことを覚えている。

だからこそ、娘がまだ幼く、自分の意思をうまく伝えられなかった頃は、そのことがひどく気がかりだった。

私の父(娘にとっての祖父)が、娘が成人するまで健在でいてくれたら、私に何かあっても、ひとまずは安心。しかし、万が一、どちらとも亡くなり、娘がどこかに引き取られることになったら、そこで不当な扱いを受けるのではないか。そんな暗い想像が、夜になると決まって押し寄せてきて、眠れなくなる日もあった。

けれど、たとえ両親がそろっていたとしても、人の命はいつどうなるかはわからない。「考えてもどうにもならないこと」と自分に言い聞かせ、なんとか気持ちを保ってきた。

それよりも、私は娘が持っている“生きる力”、いや“生きようとする力”というべきか。それを信じようと決めた。私自身、母を亡くした時、父から・・・・・・恐らく一時の気の迷いだったと思うけれど、「育てる自信がない」と、包丁を見せられたことがあった。その時、私は「たとえ一人になっても、生きていたい」と心の底から強く願った。いや、「自分の生き死にを、親といえども他人に左右されたくない」という怒りだったのかもしれない。あの、「生きたい」という切実な感覚は、今も私の中に鮮明に残っている。

だから、娘もきっと大丈夫。どんな困難があっても、なんとか生きていける。そう願い、信じながら育ててきた。そして今年。あんなにも不安だった日々が、ずいぶんと遠い昔のことのように感じられることに、驚いた。

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