以前なら、まちなかにある木を見て、「本来なら伸び伸びと伸びたかっただろうに。こっちに伸びた枝を切られてしまって」「思うままに伸びられず、窮屈だろうなぁ」「枝葉の中にごみを捨てる人が」「落ち葉が燃えるごみになってしまうなんて。土に還れるのになぁ」「人間の都合に付き合わせて申し訳ない」などかなしく、心苦しく、申し訳なさを感じていたのですが。
最近は「同じ、まち育ちですね」「散髪ですか? 私も散髪しました。えらい、角刈りにされてしまいましたね」「もしかして、年齢も近いんじゃないんですか?」と心の中で話しかけるようになってきました。
いろんな角度、可能性から、まなざしを向けられるようになれたらいいなぁと思いながら。
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