2025年11月23日日曜日

やっぱり、見てしまう


昨日も、今日も、
この葉脈を見て、
「おぉっ!」となったので。

美しい。

そして、どことなく
昆虫感もあって。
見てしまう。

2025年11月3日月曜日

どこに行っても

キンモクセイの存在感を感じずにはいられない、今日この頃。「koen zine fair 2025」に向かう途中でも。雲みたいに、もこもこっとした姿が、なんだか愛らしくて。思わずぱしゃり。


2025年11月1日土曜日

今年の、キンモクセイは

「わたし、咲いています!」
と宣言しているかのように。

この数日、あちらこちらで
香りだけを感じていたキンモクセイ。

行く先々でその姿を探していたのですが、
ようやく今夜、会えました。

よるさんぽ。


2025年8月23日土曜日

今日もまた1通

メールやLINEでもやりとりできる相手でも。それらのツールで連絡してしまうと、相手に「返事をしなきゃ!」と思わせてしまうかもしれないから。

このお手紙は「『いかがお過ごしかな? 』 と私が気になったから連絡してみた」という、自己満足の1通。返事はあってもなくてもよくて、声をかけてみただけ。そんなほどよい距離感を持てる、季節のお手紙が好きです。

季節の絵はがきに、「残暑見舞い申し上げます。いかがお過ごしですか?」という一言二言と、自分の近況を少し書いて送ります。

2025年8月22日金曜日

残暑見舞い。あのひまわりを共有したくて


「いかがお過ごしかな?」とふと顔が思い浮かんだ、あの人やその人へ。残暑見舞いを書いています。

今日はこの1枚! 先日、街中の大きな道路沿いで、背の高い大きなひまわりを見かけました。「わぁ! 大きなひまわり」となんだか元気になったので、そのおすそ分けを♪

2025年8月16日土曜日

赤い花と青い空。旅先からの便りがくれた小さな体験


サルスベリの赤い花と、青い空。

この風景に出会うたび、思い出す1枚のハガキがあります。約8年前、沖縄県・竹富島から届いた“旅先からのお手紙”です。

青い空と白い雲を背景に、赤い花の写真が印刷されていました。花の種類は違うけれど、この季節になると決まって思い出します。書かれていたメッセージの内容は、正直ほとんど覚えていません。「旅先で楽しい時間を過ごされたのだなぁ」と感じたくらいの記憶しかないのに、不思議とそのハガキの写真を思い出し、次に差出人の顔が浮かんできます。そして毎年、「お元気かな」「しばらくお会いしていないけれど、またお会いできる日が楽しみだなぁ」と心の中でつぶやいてしまうのです。

何年経っても、ふいに心を揺らす。
お手紙には、そんな力があるのだと思います。

メッセージ以上に、手書きの文字や「旅先からわざわざ送ってくれた」という思いごと届いているからかもしれません。 受け取る私のほうもまた、一つの体験をしています。郵便受けから取り出して、まず写真に目をとめ、「あ、あの人からだ」と思い、そしてメッセージを読む。嬉しくて、心が躍る! そんな流れごと、記憶に刻まれているのだと思います。

だからやっぱり、お手紙っていいな。そう思うんです。

2025年8月15日金曜日

心のゆとりが生む、小さな行動の先に


大切なことは、きっとシンプルなことなのだと思います。

たとえば、自分にとって“大切にしたいもの”があるように、すべての人にもそんな“大切にしたいもの”がある。お互いに、それを大切にし合えたらと願うけれども。実際には、とても難しいものですよね。

どうすれば、少しでもそれを実現できるのだろう。ふと、そんなことを考えます。日常のささやかな場面を見ていると、心にゆとりがあるかどうか、その違いだけでも、行動は変わってくるように思ったりします。

私も、心にゆとりのある時は、まわりに目を配り、声をかけられる。けれど、ない時は、つい見て見ぬふりをしてしまうこともある。そんなことがあちらこちらで重っていったら、ぎすぎすした空気が広がり、やがては大きくて複雑な問題につながってしまうかもしれない。

日常の小さな行動に影響する、心のゆとり。

私は、お手紙の持つ時間が、その心のゆとりを生む、1つのきっかけになるのではないかと考えています。だから、テーマに据えて活動してきました。

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一声かける、そんなお手紙を
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ふと、誰かの顔が心に浮かぶ時がありませんか?
「元気にしているかな」「どうしているかな」

今はもう連絡が取れない人もいれば、まだやりとりのできる人もいます。連絡をとることができるのに、「また、いつか」と先延ばしにしたり、気持ちを胸の奥にしまい込んだままにしたり・・・・・・そんなこともありますよね。

では、その“誰かを思う気持ち”は、どうなるのでしょうか。

ふとした瞬間にまた思い出して、今度は伝えられるかもしれません。いつの間か、思い出せなくなってしまうこともあるでしょう。あるいは「もし、あの時に・・・・・・」と後悔する日が訪れるかもしれません。

今年の夏は、そんな心にある“誰かを思う気持ち”を、そっと言葉にして届けてみませんか。まちを歩いていて、道の向こうに知った顔を見つけた時のように、手を振って「おぉーーーい!」と声をかける、お手紙を。

ただのひと声でも、相手を励ますことがあります。けれど、自分の中に抱えているだけでは、相手には届きません。

そんな気持ちを運んでくれるのが、季節のお手紙です。特に何の用事がなくても、「夏だから暑中見舞い・残暑見舞いを送ってみた」という、送る口実になります。書く内容も「蒸し暑い日が続いていますね。ご自愛くださいね」というひとことだけでも十分。お手紙で送るという行為自体に、「あなたのことが気になっています」という気持ちが、ちゃんと宿ります。

気負わず、気軽に。まずは、1通。

あなたの中にある“誰かを思う気持ち”を形にして、届けてみませんか? 私も気になりながら、連絡をしていなかった方へ、この夏1通書こうと思います。

2025年8月6日水曜日

あの空のしたで


昨日、家に帰る途中に、見えた空。
家に帰って、また外に出て、撮った。

ただただ、やさしい気持ちになったから。それだけ。

けれど、こうして
空を見上げて、やさしい気持ちになれたことも、
心が動いて、写真を撮ったことも、
誰かと共有したくなって、投稿できていることも、
ほんとうは、奇跡のようなことなんだと思う。
そう思わざるを得ないことが、多い。

心が、ぎゅっとなる。

2025年7月31日木曜日

あの夏の日から、18年。未婚の母として歩んだ日々と、今思うこと



7月は、私たち母娘の誕生月。暑くなってくると毎年、臨月だったあの夏の日々を思い出す。今年、娘は18歳という成人年齢に。つまり、“父母の親権に服さなくなる年齢=保護者がいなくても自分で人生を決めていける年齢”になった。この事実が、私にとって、どれほど特別なものだったか。

未婚の母として、娘を育ててきた。

常に頭の片隅にあったのは、「もし私に何かあったら、この子はどうなるのだろう」という尽きぬ不安。というのも、私の母は、私が小学4年生の時に、がんで亡くなった。41歳だった。それ以来、どこかで「自分も“娘が小学4年生の時”か“41歳の時”に死ぬのではないか」という漠然とした不安を抱えていた。早くに親を亡くした人は、似たような感覚が芽生えるらしい。ある芸能人がそんな話をしているのをニュースで見聞きして、共感したことを覚えている。

だからこそ、娘がまだ幼く、自分の意思をうまく伝えられなかった頃は、そのことがひどく気がかりだった。

私の父(娘にとっての祖父)が、娘が成人するまで健在でいてくれたら、私に何かあっても、ひとまずは安心。しかし、万が一、どちらとも亡くなり、娘がどこかに引き取られることになったら、そこで不当な扱いを受けるのではないか。そんな暗い想像が、夜になると決まって押し寄せてきて、眠れなくなる日もあった。

けれど、たとえ両親がそろっていたとしても、人の命はいつどうなるかはわからない。「考えてもどうにもならないこと」と自分に言い聞かせ、なんとか気持ちを保ってきた。

それよりも、私は娘が持っている“生きる力”、いや“生きようとする力”というべきか。それを信じようと決めた。私自身、母を亡くした時、父から・・・・・・恐らく一時の気の迷いだったと思うけれど、「育てる自信がない」と、包丁を見せられたことがあった。その時、私は「たとえ一人になっても、生きていたい」と心の底から強く願った。いや、「自分の生き死にを、親といえども他人に左右されたくない」という怒りだったのかもしれない。あの、「生きたい」という切実な感覚は、今も私の中に鮮明に残っている。

だから、娘もきっと大丈夫。どんな困難があっても、なんとか生きていける。そう願い、信じながら育ててきた。そして今年。あんなにも不安だった日々が、ずいぶんと遠い昔のことのように感じられることに、驚いた。

2025年7月6日日曜日

心の湖に沈む、何気ない日々のいとおしさ


駅に向かう途中、娘が「昨日、蝉の声が聞こえてん」「あれ、蝉の声じゃない?」と嬉しそうに話すので、耳を澄ますと、風で木々の葉が揺れる音。「ちゃうやん」と母娘で笑い合う。

しばらく歩いた先に、ふと木の幹に蝉の抜け殻を見つけた。「この蝉が、どこかで鳴いていたんやなぁ」と嬉しくなって動画を撮っていると、隣にいた娘が「あそこも、きれいやで」と教えてくれた。目をやると、地面に浮かんだ葉の影が、風に合わせてゆらゆらしている。


日々、いろんな出来事がある。何気ない、この瞬間を、心の湖に沈めておく。

2025年6月30日月曜日

自分の中にある“何か”とつながる――中津川浩章さん個展「神話の森をひらく」へ

 
この作品の前で、しばし立ち止まってしまった。

日々、木と対話するような気持ちで過ごしているからだろうか。地面の下にまで根を張る姿、そこからつながっていく世界を、ほんの少しだけれど想像することもあったから。そのイメージと重なったのかもしれない。

一度、その作品の前を離れ、また戻った時のこと。木の上のほうに目をやると、葉の間から2匹の蛇が飛び出すように現れていることに気づいた。さらに左隣の作品を見ると、最初は気づかなかったが、そこにも蛇がいた。何匹もの、とぐろを巻いた蛇が絡まり合っているように見えた。

まだ言葉にはできないけれど。何かとつながっていくような、そんな感覚が残っている。


昨日2025年6月29日(日)まで開催中だった、中津川浩章さん個展「神話の森をひらく」に行ってきました。

「人間にとって表現することの根源には何があるのか?」「“存在することの意味”とは何か?」。そんな問いを常に抱きながら、アーティストとして、またアートディレクターやキュレーターとして、アートや福祉という枠を超え、表現そのものと向き合い続けている中津川さんです。

その想いや考え、活動については、ウェブサイトに詳しく綴られています。


■中津川さんのウェブサイト
https://www.lascaux-labo.com/

2025年6月22日日曜日

身近であればあるほど


あぁ、近所のヤマモモの木に実がなっていることに、今日気づきました。真っ赤な実が、道にたくさん落ちていて、その鮮やかさにびっくり!

あぁ、実が落ちるまで、全然気づかなかったんだなって。大好きな木なのに。ほかのお友だちの木よりずっと身近なのに、ちゃんと見てなかったんだなぁって。

身近であればあるほど、当たり前になってしまって……大きな変化として表れるまで、気づかなくなってしまうのかもしれませんね。

2025年6月21日土曜日

「転生してきたん?」。髪の毛を切っただけなのに

「転生してきたん?」

髪すっきり・気持ちすっきりの私を見た、高校生の娘の一言。

「へ? 転生って?」

髪の毛を切った姿に対する言葉としては、あまりにも想定外。思わず、固まる私。考えを巡らし、「若返ったってこと?」と思っていると、「前髪・・・・・・」とニヤニヤする娘。

そう、2023年春、娘に前髪を切ってもらったことがあった。一所懸命に切ってくれていたのだが、「ずれたからこっちを短く切って揃えよう」「あ、今度はこっち」とどんどんどんどん、短くなっていって(途中からはたぶん受けを狙いにいったんだと思う)。結果、「もう、仕事に行かれへん」と泣きたくなるくらい、散々な前髪にされたのです・・・・・・

娘いわく、あの前髪が“転生”してきた、と。いやいやいや、全然違うから! あの時とは長さも違うし・・・・・・今回は気に入ってんだからな!

2025年6月5日木曜日

夏が始まる前から、もう冬のはじまりを


梅雨でもなく、夏でもなく。もう、冬のはじまりを感じてしまった昨日。

いつもの、私にとっての“だんごの木”こと、センダンの木に青い実がなっていました。こんな時期になった青い実が、これから大きくなり、冬にはまるで“だんご”のように白くなるのだと。

なんだか不思議で、おもしろいですね。

2025年5月28日水曜日

満開の時期を過ぎても


 「青空が見えそうだなぁ~見えないか。いや・・・!」という空模様だった5月27日(火)、「1年後の自分にお手紙を“一緒に”書こう会」を開催しました。

大井戸公園の薔薇は満開の時期を過ぎてしまったけれど、「今が見頃よ」という花やこれから咲きそうな蕾もありました。“尼崎オリジナルのバラ”という「ローズアマガサキ2016」に鼻を近づけると、上品な香りが。薔薇園で一際目を引く“つる薔薇のアーチ”そばのベンチには、おじさん2人が将棋を指す姿もあったりして。園の真ん中にある電灯には、複数羽の鳩が集い、まるでオブジェのようにも見えました。

毎回、私も含めて参加者は3~4人。自分ひとりだったら気づけないだろう、このお一人おひとりがいるからこそ気づけただろうということが、毎年・毎回たくさんあります。そして、いつも思うことは、この日、この方々で集まるのはご縁だったのだろうなぁということです。そういう場にいられると、心がほくほくしてきます。

おさんぽ時間も含め、あっという間の2時間30分でした。

2025年5月26日月曜日

朽ちていく姿もまた美しい


雨降りの翌日5月25日(日)、「1年後の自分にお手紙を“一緒に”書こう会」を開催。

おさんぽをするために、大井戸公園に向かう途中、紫陽花も見かけました。5月も末、薔薇園の薔薇は満開の時期を過ぎて、朽ちていく姿が見られます。その姿が、雨が降った後の湿り気のある風景の中、より美しく感じられました。

華やかな薔薇園のおとなりには、背の高い木々が茂るエリアが。一歩踏み込むと、またそこは別世界です。深い緑、鮮やかな緑など、さまざまな色合いの若葉が茂り、足元には転がる木の実、風の音が聞こえ、見上げると青いモミジの葉が星々のように見えました。


ある木には、複数の鳩がとまっています。どうして、そこに集まってとまっているのか、その理由はわかりませんでしたが、この場所の落ち着く感じに、私たちもベンチに腰をかけていつまでもいられそうな気がしたので、「その気持ち、わかるような気がする」と勝手に共感。

ふらっとゆるっと公園をおさんぽした後、カフェで1年後の自分にお手紙を書きました。

2025年5月16日金曜日

香りを感じるひととき

あぁ、ここに立つだけでも、こんなにも薔薇の香りが漂ってくるんやぁ。薔薇に圧倒され、薔薇園入口でしばし佇んでしまった今日。今年最初の「1年後の自分にお手紙を“一緒に”書こう会」の日でした。お手紙を書く前に、大井戸公園でおさんぽ。薔薇が情熱的に咲き乱れていました。

香りにときめいたのは、ご一緒くださった方々のおかげ。「薔薇のいい香り」という、その一言をきっかけに、うわあぁっと嗅覚が研ぎ澄まされた感じ。大ぶりの花々に顔を近づけては、薔薇のいろんな香りを楽しみました。

また、花がら摘みなどの管理作業をしてくださっている方々の姿も。今日もこうして楽しめたのは、その方々のおかげです。ありがとうございます。

日によってもそうですし、誰と一緒におさんぽするかによっても、感じられることや気づけることが変わるので楽しいです!